・中島 基全(ナカシマ モトハル)
・1985年10月3日生まれ
・国際医療福祉大学 視機能療法学科卒業
・視能訓練士(眼科)
・株式会社ユニキュア 代表取締役
ユニキュア発足までの経緯
Ⅰ:西洋医学にも東洋医学にも助けられっぱなしの我が人生
①5歳の時、片眼の弱視が発覚、手術しても治らず金井接骨院へ
5歳の頃に片眼の弱視が発覚して、要は左目よく見えてない状態で。6歳の時に眼科の有名な先生にお願いしてちょっと遠いところの病院で内斜視(寄り目)の手術を受けるのよ。スーファミでマリオしてたのと、手術後に目がめっちゃ痒かったのを覚えてる。でも術後、一時は目の位置が良くなったけど、すぐに斜視が元に戻ってしまって。そこで、叔母の紹介で金井接骨院に連れて行ってもらって治療してもらったら目の位置が外見で分からなくなるくらいまで元通りに戻った。っていう経験が僕の金井先生との出会いかつ東洋医学との出会い。
なんで眼科じゃないのに目が良くなるのよ・・(笑)
「金井接骨院じゃなくて、なんで金井眼科じゃないの?」お母さんに聞いてみよう。
②8歳の時、軽自動車にはねられ、左足を大けが&緊急手術
小学校の帰りに軽自動車にはねられ、倒れたところにその軽自動車のタイヤが僕の左足の上に乗って止まった。あまりの重さに左足を引っ張ったら、道路のコンクリートとの摩擦で肉が剥がれ骨が見えた。重いし痛かった。緊急手術を受けて全治1年ほど。何度も消毒に病院に通っては痛くて泣いていた記憶は鮮明に残っている。しかも、緊急手術の時の先生がこれまたドSで、麻酔の注射を僕が幼いながらのノリで拒否したら、麻酔なしで手術を続行。これが本当に痛かったのよ。あと、毎回消毒の時にガーゼが傷口にくっついていて、本当に痛かったのよ。
手術は絶対に麻酔必要!!これからはもっと素直になろう・・・(笑)
③中1の時、腫れて手術が必要と言われた左膝のケガが金井接骨院で1日で治る
中1の時にバスケで左膝を痛めてパンパンに腫れて歩けなくなった。3ヶ月くらい地元の整形外科に通うも、毎回、膝の水と血を抜いてもらって湿布貼って包帯巻いて終わり的な。結果、一向に腫れは引かず、挙げ句の果てに「原因がよく分からん。入院と手術が必要、復帰まで1年かかる」と言われた。当時の僕からしたら絶望よこれ。でも、次の週に、両親に金井接骨院に連れて行ってもらって治療を受けたら、その日のうちに腫れが引いてびっくりよ。ちなみに3ヶ月後、試合に復帰。ってか、あの3ヶ月めっちゃ無駄・・・。
最初から金井接骨院行っといたらよかったがな・・・。
東洋医学、すごい!将来は医療の道に進みたい。
④高1の時、全身に発疹ができて肝機能が低下(70代の方と同じ数値と言われた)
たぶん慣れない高校生活スタートとバスケに打ち込み過ぎた関係かなあ?GW前にいきなり全身に発疹ができて痒いし赤いし熱出るし、人生初、発熱40℃超えを達成。その翌日、皮膚科で中毒疹と診断され、お薬を飲んで安静にしていたら完治。解熱鎮痛剤とステロイドは対症療法と分かっていても、症状が治まるのは本当に有難いことよ。
肝臓が悪かったのは素直にショック。将来はお酒とか控えよう・・・。(※当時はそう思ってましたが、なんやかんや、今はとってもお酒大好きです。笑)
⑤高2の時、バスケの試合で捻挫+靭帯剥離
バスケの試合で華麗なるゴール下シュートを決めて着地した瞬間、相手の足の上に踏み込んでしまい、グキッ!って感じで。痛すぎて涙出るくらいのダメージを負い、整形外科に直行。検査の結果、靭帯剥離。「手術が必要」と言われたので、そのまま金井接骨院へ直行。何度か通って治療してもらったが、3ヶ月後に無事にバスケ部復帰。この時の僕で言えば、いわゆる西洋医学で手術を受けるか、東洋医学で治療するかの選択をしたということですね。(どちらが正解、不正解というのはないと思う)
スラムダンクの赤木主将の「いいからテーピングだ!」をリアルに再現してそのまま試合に戻りたかったけど、実際ムリね。あんだけ腫れたら歩けない、走れない、もちろん跳べない、君が好きだと叫べない・・・(笑)
⑥同じく高2の時、部活でもめて壁を殴って自ら拳を骨折(青春)
なぜだろう、勝ちたいという想いが強すぎて感情が爆発してしまったんだ。周りのみんなにも迷惑をかけた。今となっては反省。体育館の壁を本気でパンチしてみた。すると、右手の甲から骨が飛び出して来た。折れたのがよく感じられた瞬間でした。金井接骨院に行くと、「これは整形外科で一度手術してもらいなさい」とのご指示。病院の整形外科で手術を受けて手にボルトを入れ、リハビリをして、ボルトを取る手術を再度して、無事に完治。西洋医学の最大の強みは手術という技術にあるなと実感。余談だが当時の僕のメールアドレスは、「seiyouigaku-touyouigaku@ドコモ」だった。西洋医学と東洋医学を繋げたいという、若いながらに想いを抱いてたのよ。
やっぱり手術、すごいな。整形外科は手術がすごい。でも腰痛とか膝通とかそういう治療をするのには弱いんだな。レントゲン撮って湿布貼るぐらいしかやってくれないから。
手術は整形外科、普通のケガや腰痛とかは東洋医学。これだ!
⑦大学1年、祖父母に会いに原付で自爆事故を起こし左足を複雑骨折
原付で祖父母の家に向かう山道でふとよそ見をしてしまい、その瞬間、道路の歩道に引っ掛かって勝手に自分で転倒してしまい左足首を複雑骨折の重傷。骨が折れると不思議で、立とうとしても立てないし、足が言うこと聞かなくなる。地元の方に発見していただいて、救急車を呼んでもらい、そのまま病院へ直行。人生初救急車。その時の救急隊員の方が、なんと僕が中学生の時にお世話になった地理の先生だったというプチ運命もあり、若干嬉しかったけど、足にボルトを入れる大きな手術は半端なくハードだった。骨がレントゲンで見てもはっきり分かるくらい粉々になってた。何と言っても術後の全身麻酔が切れた瞬間の左足の痛みは一生忘れない。丸3日間うなされ、焼けるような痛みで気絶しては置き、気絶しては置きを繰り返し、なんとか退院。その後、ボルトを一部抜いたりする手術を再度受けてリハビリをし、丸1年かけて完治。整形外科の先生方、理学療法士の方、大変お世話になりました。
西洋医学の最大の強みは、やっぱり手術だと実感。
しかし、二度と全身麻酔、下半身麻酔は御免です。。。特に下半身麻酔、長~い注射針を背骨の間に刺し込むのですが、痛すぎなのよ。もう経験したくない。トホホ・・。
⑧大学2年、急性虫垂炎に似た症状で病院に運ばれる
急にうずくまって起きれなくなる程の強いおなかの痛みが襲いかかった。友人に至急病院に連れて行ってもらい、検査をしてもらうも、虫垂炎ではないとのこと。いったん、抗生剤を点滴してもらい入院することに。原因を追究するために、人生初、注腸検査を受けることに。注腸検査、なんか液体と空気を注入されて行くからめっちゃおなか苦しいのよ。検査結果は異状なし、痛みは抗生剤のおかげかマシになって来て3日後に退院。おなかの痛みがまだ残っていたので、金井接骨院へ行って治療してもらい、無事に痛みが消えて完治。
西洋医学の抗生剤で症状をおさえて、金井先生のところ(東洋医学)で完治的な、これぞ華麗なるコンビネーションでしょう(笑)
⑨社会人1年目22歳の時、バスケで歯が折れて歯の神経が剥き出しになる
社会人1年目の夏、バスケの練習でリバウンドに跳んだら同じチームの後輩の肘が僕の前歯に当たり、パコーンっと歯が折れた。歯の神経が剥き出しの状態で痛いのよ。なぜか練習後、折れて歯の神経が剥き出しの状態でバスケの先生とラーメンを食べに行った。とんこつラーメンのスープをレンゲですすった次の瞬間、ズキューーンッ!衝撃的な痛みが・・・。そりゃそうか、歯の神経が熱々のとんこつスープに当たるんだもの。本当に痛いのよ。痛すぎてラーメンを食べれず。その日の夜、歯が痛すぎて至急、救急的に歯医者へ。神経を抜いてもらい、折れた歯の治療をしていただいた。そうです、僕の前歯の左側は今も差し歯です。オールセラミックというやつです。
まずね、歯の神経が剥き出しになると、とにかく痛い。
そしてね、その状態でのラーメンは絶対にダメ。
歯の神経に豚骨ラーメンのスープが当たる経験、なかなかできないけど、歯は折れないに越したことはないぜよ。苦笑
歯医者さん、本当にありがとうございました。。。
⑩24歳の時、急性アルコール中毒からの背中がヤバくなった件
新卒で入った某医療大学の助手から、都内の眼科クリニックに転職。歓迎会を開いていただき、調子に乗った僕はお酒を飲み過ぎてしまい、気がついたら病院に。記憶がないが一晩中ワインをデキャンタで飲んでいたようだ。命に別状はなく翌日退院したが、それ以来ずっと背中が痛いのよ。仕事しててもズキズキ。休んでいてもズキズキ。近くの病院を受診して検査をしてもらっても異常なし。金井接骨院に行くか?とも思ったが、バイディジタル・O-リングテスト医学会のHPをたまたま見ていて、少し気になった、東京の吉祥寺にあるパレアナという治療院に行くことに。そそこで片山明子先生と出会う。片山先生にO-リングテストで調べてもらって原因がサイトメガロウイルスであるということが判明(西洋医学的検査では分からないらしい)し、オメガ3を飲んで中指を擦る謎のルーティーンを開始する。その3日後、完全に背中の痛み消える。インクレディブル。
O-リングテストすごいな。片山先生に鍼を打ってもらって、正直、肩こりとかの症状はあまり変化がなかったけど、背中の痛みが消えたのは本当にすごい。オメガ3最高!
⑪25歳の時、風邪をこじらせて謎の止まらない咳
都内の眼科クリニックで勤務。季節の変わり目か、風邪をこじらせた。咳が止まらなくなり、病院で咳止めをもらっても咳が止まらず。吸引するタイプの咳止めの薬をもらっても咳が止まらず。これではいかんと、新幹線に乗って金井接骨院へ。金井先生に調べてもらい、治療してもらい、オリーブパウダー&謎のシールですぐ完治。
病院であかんかったら金井先生のところへ、というルーティーンが出来上がった気がする。有難い。
ってか、もはや金井接骨院じゃなくて、金井内科とも呼べる!(笑)
⑫32歳の時、まさかの検診で腎臓で引っ掛かり、腎臓疾患に罹る
近頃、背中と腰がなぜか痛む(特に寝起き)なと思っていた矢先の会社の検診で、まさかの腎臓の数値で引っ掛かった。「要精密検査」とのことで、病院で精密検査を受けた。医師から、一度腎臓の細かい検査をした方が良いとのことで、腎臓に針を刺す検査を薦められ、場合によっては入院も必要と言われた。正直、そんなのイヤ!!って思って、たまたま実家がある関西に帰る機会があったので、いったん金井接骨院へ。金井先生に調べてもらい、歯周病菌が原因と判明。先生のご指導の下、バルサミコ酢でうがいを始めて数日後、背中と腰の痛みが完全に消える。そして、再び病院に行って血液検査してもらうと、腎臓の数値が正常に戻っていた。医師曰く、こんな事例は見たことがないとのこと。有難い。
金井接骨院・・イヤ、金井腎泌尿器科に行ってよかったぜ(笑)
これもまた、西洋医学と東洋医学の選択を上手く使い分ける例ではないだろうか。
⑬2022年2月、新型コロナに感染する
発熱から来てのどの痛みと味覚障害、呼吸のしにくさ。病院に行って検査をすると結果はコロナ陽性。自分史上、発熱のど系では最もきつかったと思う。病院でもらった解熱鎮痛剤、アセトアミノフェンのおかげでなんとか症状を抑えつつ、日に日に回復・・・。
解熱鎮痛剤は個人的には西洋医学界最高のお薬の一つやと思う。対症療法やから否定的な意見もちらほら聞くけど、実際、熱下がるってほんまに助かるよ。
⑭しかし、コロナの後遺症に苦しむ・・・
コロナ回復後1ヶ月経っても肺の違和感が残る。病院に相談しても完治と言われるので、いつも通り金井接骨院へ。金井先生の作った液体をおでこに1滴垂らして、反時計回りに回すと、1週間で肺の違和感が消える。Why?(笑)
もはや科学的根拠とかそういう議論のしようがない。まだ一般的には解明されていない、目に見えない世界があることを否定できない。The FU・SHI・GI。
Ⅱ:受ける医療は選択できることを色んな方々に知ってもらいたい
「なんで病院には内科とか外科とか眼科とか色々あるのに、東洋医学科(鍼灸科、気功科、波動医療科など)はないんだろう?」「なんで整形外科と接骨院や整体院は分かれているのだろう?」「なんで病院の医療は保険診療なのに、東洋医学は保険診療にならないんだろう?」昔から素朴な疑問でした。
その真意は保険診療と保険外診療の違いなのか、薬以外の治療法やそもそも予防医療に対しての意識が薄いからなのか、実際のところはよく分からないのですが、きっと、西洋医学と東洋医学で仲が良くないというか、互いに分かり合えない何かがあるからなのかな?と勝手に思っています。
でも、上記に一部紹介させていただいたように、僕は自分の人生を通して西洋医学にも東洋医学にもたくさんお世話になってきました。どの医療が良い悪いという話ではなく、選択をするのは僕ら患者側の一人一人の自由だからこそ、受ける治療に対して選択肢を持てることはとても重要なことだと考えています。
上記を読んでいただいたように、普通とは違った独特な治療をされるユニークな先生は世界中に存在します。中には、未だ科学的根拠では証明のしきれない、目に見えない世界を活用して治療に当たる先生もいらっしゃって、これまた不思議ですよね。当然、目に見えない世界があるか?と聞かれれば、あると思う人もいれば、そんなものあるか!という人もいるでしょう。それは、信じる信じないなどはあまり問題ではないと思います。自分の身体をどうしても治したい!と願っている時に、その治療の選択肢として、実際にユニークな先生方の治療を受けて初めて知ることもあるかもしれません。
Ⅲ:問題は、ほとんどの方々が病院以外の治療を知る機会が少ないということ
ほとんどの方々は、「ココが悪い」→「近くの病院」というルートは当たり前のようにありますが、それ以外に治療の選択肢を増やす機会がないのが現状です。知る人ぞ知るユニークな先生は基本的に、口コミでしか広がっていないのが今の医療業界の現状です。
でも、ネット社会が進んできて、大半の人はネットで検索できる環境が整って来ています。だったら、独自の治療をされる先生方をユニキュアを通じて検索して見つけられるようにしたら、助けられる人は絶対にいるのではないか。いや、絶対に救われる方々がいる。その確信を持ったからこそ、このユニキュアを創ろうと決心しました。
僕自身の人生経験の中で最も比重が大きかったのが医療体験で、その医療体験を多くの方々の為に役立てられないか?また、自分の医療に対する想いを形にできないだろうか?自問自答した結果、ユニキュアの発足に至った次第です。